【寺十 吾 インタビュー】
 まず口に含んだ瞬間に、何の味だか分からず戸惑う。でも、喉にひっかかる違和感を覚えながらも飲み込んで、落ち着かない胃をさする頃には、なぜだかもう一口食べたくなっている――そんな【tsumazuki no ishi】の一筋縄ではいかない魅力を、演出家として、役者として支えるのが寺十吾(じつなし・さとる)さんだ。
 その寺十さんに、座付き作家・スエヒロケイスケ氏が生み出す世界の魅力と、今作の見所を中心に話を聞いた。
寺十 吾
(じつなし・さとる)

京都出身。【tsumazuki no ishi】主宰 / 演出家 / 俳優
自劇団での演出・出演のかたわら、俳優として多くの舞台・映像作品にも出演し
その存在感ある演技が高い評価を集める
KUDAN Project作品『くだんの件』にて日本インターネット大賞最優秀男優賞受賞

死ぬより怖くて笑える世界
―【tsumazuki no ishi】は現在、名古屋在住のスエヒロケイスケさんが提供する戯曲を寺十さんが演出する、というかたちで作品を発表し続けています。東京と名古屋――まずは作品の作り方に興味が行くのですが、スエヒロさんは頻繁に東京に来られるのですか?

 いや、ほとんど来ないですね。本を書いて渡したら、あとは本番まで見に来ません。
 普通、座付き作家は出演メンバーを見て「今回はこういうのにしよう」ってなるんでしょうけど、それも無いんですよ。「当て書きとか、そんなに意識せずに書いていいよ」って言ってますから。だから、向こうは本を渡したら渡しっきり。こっちも本について相談することはほとんど無くて、あくまでこっちで解釈する。そういう距離を、敢えて取ってます


―スエヒロさんの戯曲って、ト書きが相当細かいですよね?

 細かいです(笑)。台本って、叩き台じゃないですか。それを基にして、っていう。でもそれ以前に彼は台本を“読み物”にしたいらしいんですよ。だから、まず読み物として確立している、読んで面白い、ということを意識しているようですね。その読み物を僕らが現場に持ち込む、という関係なんです。だから実のところ、ト書きについては綿密にその通りにはやっていないんですよ

―ではむしろ、小説を読み込んで舞台化するような感覚に近い?

 そうですね。それはあると思います

―そのスエヒロ戯曲に感化されて、寺十さんは一時活動休止していた【tsumazuki no ishi】を復活させたそうですが、スエヒロさんの描く世界の魅力は?

 出口の無い世界――極端に言うと死ぬより怖い場所。いっそ死んじゃった方が楽かもしれない、それでも生きている――その場所、その環境があまりにヒドイんで、だんだん笑(わら)けてくる、というところでしょうか

俳優の顔、演出家の顔
―その世界に、まずは役者として取り組む上での面白さは?

 結構、マンガの様なやりとりがあったりするんで、マンガみたいなテンションで取り組まないといけない時があるんですけど、かと思えば、妙に生々しいところもある。その振り幅をどう掴むかで苦労はしますけど、その、超マンガと超リアルを同居させる身体を見つけたときは面白いですね

―演じながら、その振り幅を楽しんでいる

 楽しんだり、苦しんだり……泣いたり、壊れたり、みたいな感じで(笑)

―では、演出家として戯曲に向き合う時は、どういうところに気を使ってます?

 やっぱりそこなんですよ。そこ(超マンガと超リアル)の橋渡しですね。観ている側にもきちんと橋を架けておかないと、キョトンとしちゃう。そうさせずに巻き込んで、成立させるためにはどうするか――セットにしても何にしても、その、極端なんだけど同居できるんだっていう部分を見せるところで、全体的に気を使いますね

―演出家と役者、切り替えはスパッとできる?

 できないです(笑)。だから「今日はまったく演出のことは考えない日」っていうのを決めて、そのときに自分の芝居を見てもらうというやり方をしています。
 ……演出しているときは“行きたい場所”“見たい風景”とでも言うもののイメージがあるんです。でも、そういうイメージを持ったまま役者として芝居に入ると、これが結構窮屈なんですよね。そこはもう「こっちにお任せ」っていう状態で身を投げ出さないと、飛べない。だから、そこが一番の切り替えどころですね


―ちなみに最近、演出時に擬音が多くなっているというのは本当?

 いやいや(笑)。この前たまたまやってみたら楽しかったんで、その時だけ敢えて多用してみただけです。…でもね、役者からは「うん、気持ちは分かるんだけど」って言われて終わっちゃった(笑)
被害者 / 加害者という記号
   ――新作『無防備なスキン』
―さて、今作『無防備なスキン』。立花文穂(たちばな・ふみお)さんの手がけたチラシがまた魅力的なんですけど、書かれていることを読んでみると難解で(笑)。どんなお話なのか、簡単に教えてもらえますか?

 どういう事情なのか、いろんな犯罪の加害者側の家族と被害者側の家族が一つの家に同居している。その同居している者同士の、コミュニケーションの話です。まず有り得ない取り合わせですけど、そこで人間がどう動くかを観察するというか発見するというか……そういう話ですね。
 …芝居が進むうちに、だんだん被害者も加害者も似てくるんですよね。その似てくる部分と、絶対に相容れない部分とを検索していくうちに、何かが見えてくるんじゃないでしょうか。
 特別に犯罪や事件が無くても、普通に生きてても、何かを自分のせいにしてみたり誰かのせいにしてみたりといった往復が、意識の部分ではありますよね。それを例えばニートと呼ばれる人で考えたとき、彼はどんな責任をどこに持って行っているのか、更には自分をどんなかたちで許しているのか――そういうことも、被害者・加害者という記号を置いて考えてみる。すると、そういう人たちの心理とか、「なんで生きているの?」みたいなところまで見えてくるんじゃないかなって思うんですよ。――ま、その“ニート”は、“いい歳こいて芝居やってる我々”に置き換えてもいいんですけど(笑)。「お前、まだこんなことやってんのか」っていう(笑)。そういうこともいろいろ、被害者・加害者という記号を持ってくることで、少しずつ見えてくるのかな、と


―確かに【tsumazuki no ishi】作品=スエヒロ戯曲には“ニート”“引きこもり”“働いていない人”がたくさん出てきますけど

 そうなんですよね。そういう意味では、座付き作家の役割を果たしているというか…ある意味、当て書き(笑)。戯曲を実際に立ち上げる僕たち自身が登場人物とたいして変わらないと思ってるんで、身につまされるというか……やっていて結構イタイんですけど(笑)
―今公演のキャッチコピーに「絶対無理解の相互理解へ 皮フが邪魔」とあります。この言葉には、これまで一貫して描いてきた“現代的なディスコミュニケーション”をより深化させる印象を抱いたのですが

 それはありますね。そして、大分わかり易くもなっていると思います。被害者と加害者というキーワードを持ってくること自体そうですが、すごくわかり易くなってきているんじゃないでしょうか

―それでは、今作の見所を

 まず、なによりナマ田中要次(ボバ)さんを見てもらいたいですね。ボバさんとは仲が良くて、ずっと「一緒にやろうね」って話をしていたんですけど、今回ようやくそれが実現したので。ボバさんはいつもは“名端役”という感じですけど、今回はたっぷり出てもらってるんで、「本領発揮!」みたいなところを映画やテレビでファンになっている人たちにも是非見てもらいたいと思ってます。
 あとは……結構イタくて面白い話を、実際にイタくて面白い人間たちが集まってやっているんで(笑)、技術で見せるというよりも本当にそういう人たちが出てますから、見世物でも見る様に観てもらえれば楽しいかなって思います

 劇団名がローマ字。自身の名前(寺十 吾)は振り仮名が無いとまず読めず、劇作家の名前は片仮名。劇団員の名前にもエキセントリックなものがいくつも並ぶ。「釈八子」なんて男優までいる。そんな、フェイク(虚:きょ)に徹する姿勢にはむしろ真摯な印象さえ受けるが、それを言うと寺十さんは「うちはひねくれ者が多いんですよ」と、こともなげに笑った。
 そんな彼らがつむぎ上げる、有り得ない世界のコミュニケーションの物語――新作『無防備なスキン』で、【tsumazuki no ishi】のひねくれっぷりを是非ともご堪能あれ!
2006/7/11 文責・インタビュアー:北原 登志喜 撮影・編集:鏡田伸幸
【寺十 吾 インタビュー】
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