BACK STAGE REPORT演劇のチカラ〜その可能性をめぐって〜東京国際芸術祭2006、開幕!
【市村作知雄インタビュー2】
 常識を疑うのは難しい。けれど常識に対する新たな視線を獲得するための力、それが演劇にはある
 ――目を転じた先の広大な景色を誰よりも知るがゆえに、市村さんの言葉には確信が満ちていた。
 インタビュー後半では、演劇の作り方の(日本の)常識について、ドラマトゥルクというキーワードを中心に話は展開した。市村さんがドラマトゥルクという職能の更に先に見据えるものとは?
市村作知雄インタビュー(1)
ドラマトゥルクだけでは変わらない
―“力持つ演劇”を紹介し続けてきた東京国際芸術祭。今年は更に進んで、自身で日本の演劇を製作・上演します。このプログラムで意識したことは?

 僕がドイツの演劇を好きで結構やりつづけたんですけど、ドイツの演劇をずっとやってて色々気付いたことがあるんですね。何でドイツの演劇はこんなに面白いんだろうって考えたときに、まず、演劇の作り方が違うということが徐々に分かってきた…今も分かりつつある段階でしかないんだけどね。それで、当初はドラマトゥルクっていう職能があるってことくらいしか分かってなくて、「日本でもドラマトゥルクっていう職能を作れないだろうか」と思って色々やってきたんです。もちろんそれだけでも大変なことではあるんだけども、実はいま、どうもそれだけでは収まらないな、という感じがしてるんですよ。

 演劇はいま演出家の時代で、演出家が強いわけだけれども、「演出家が強いという意味は何だろう?」っていうことを随分と考えたんですね。そうしたら「演出家がトップに立ってものを作るのに必要な脚本っていうのはどういうものなんだろうか?」っていうことが問題意識として出てきた。僕なりに少しずつ分かりつつある感じなんですけど、ドイツの演劇を考えるとき、ドラマトゥルクの存在だけじゃなく、もう一つ、脚本の書き方が違うっていうことがやっとここ数ヶ月で見えてきたんです。

 演出家の時代となったとき、演出家が一番ぶつかるのは脚本家だと思うんです。なぜかと言うと、ト書きと役者の設定ってあるでしょう? 実はト書きって変なものだなって思ったんですよ。ト書きって、演出でしょ? 演出を指定している。で、「それ邪魔だな」って考えが生まれてきたんだよね。演出家にとっての脚本っていうのは、なるべく裁量範囲の広いものがいいはずです。逆に言えば、そういう脚本に堪える演出家が出て欲しいわけで。もしト書きの無い脚本を演出家が見て「ふざけるな、こんなもの!」って言ったとしたら、それは脚本家が強いということ。脚本家が指定して、その通りに実現しようということだからね。

 今回やるサラ・ケインの『4.48 サイコシス』(にしすがも創造舎上演プロジェクトvol.2)はト書きは無いし、人物設定も無いんですよね。「何人出なさい」っていうのも無いわけです。男か女かも分からない。それは全部、演出家が決めるしかない。でも演出家にとってはそういうものこそが欲しいはずなんですよ。ト書きで全部指定されているものではなくてね。そういうことに我々も最近ようやく気が付いた。ドラマトゥルクの役割を考えたとき、単に演出家を補佐するっていうくらいじゃあんまり大したことないなと思ったんだけど、実はそういうドラマトゥルクや演出家に対応する脚本が必要なんだって。

 …というように、この話は相当深いところまで行く話なんですよね。だから、これからは徐々にそこ、脚本の話に持っていこうと思ってます。今年くらいまでは「ドラマトゥルクは必要なんですよ」っていうくらいまでしか主張してないんだけど、その次のこととしてね。ドラマトゥルクが出たら、脚本家まで変わるはずだっていう。そこまで行けば演劇は大分変わると思ってるんだけど…。世界は変わってるよ。何人かの最も生産的な世界の脚本家、演出家もそういうように変わってきている。日本ではまだそこまではいかないかも知れないけど、でも今回の阿部初美のサラ・ケインは、そこまで明確に意識してやっているなと思いますね
孤独なアーティスト像という誤謬
―来年は一気に脚本を作るところまで行けるかもしれない?

 誰か良い書き手が出ればいいんだけどね。やっぱりドイツなんかでは出たわけだし、サラ・ケイン(イギリス)だってあんな脚本を書いたわけだからさ。僕、最初に『4.48 サイコシス』の脚本見たとき、「これ、いくらなんでも脚本じゃないよね」って思いましたもん。だって、やっぱりびっくりするじゃないですか。人物が男か女かも分からない、何人出ているのかも分からない。だから逆に言うと演出家の力量が相当問われますね。でも、脚本にしっかりト書きが書いてあれば、その通りやっていけばできちゃうわけで、そういう脚本の時代は演出家はそれほど尊重されてなかったっていうことでさ。それは脚本の力だって話しで。やっぱり演出家が力を発揮できる、そういうものに対応する脚本の書き方があるんじゃないかな?っていうことなんです。……「かな?」くらいしか今はまだ言えないんだけどさ(笑)。とにかく、ドラマトゥルクの次はそこじゃないのかなって。

 ドラマトゥルクに関して言うと、演劇だけじゃなくダンスだってドラマトゥルクが作り方を変えることを考えるのもいいんじゃないかって感じますよね。ヤスミン(ゴデール)にもドラマトゥルクはきっちりついているし。

 何か日本の場合、アーティストは孤独に作品を創るっていうイメージでしょ。でもそれは嘘でしょうって。そんな時代はここちょっとの間だけですよ。昔は全部、工房で作ってたんだからさ。

 …と言ってもね、一人で作品を作り上げるのとドラマトゥルクと作るのと、「どっちが良いか?」なんていうことを言う気は別に無いのね。一人で作るなら作ったなりの、とんでもないものができる可能性はあるわけだから。だからそれが悪いというつもりは無いんです。ただ、なんかここ100年くらいの「アーティストは孤独だ」みたいなものを異常に普遍化してしまう感じがあって、それは違うなあってことであってね。
脚本家と演出家が同じというのは日本の場合はすごく多い。さっきも言ったけど、それが悪いと言うつもりはありません。でも「世界を見れば、違った作り方もあるんだよ」ってことは言いたい。僕たちがやっているのは、そういうことなんですよ


―それでは最後に、この芸術祭で市村さんが一番見たい光景を聞かせて下さい

 ちゃんと働いている人たちが「疲れたからこういうものを見よう」ってなれば一番いいですね。「疲れたからカラオケ」ではさ、何か人生終わってるみたいな感じじゃないですか。もう少し豊かに生きようよってことですよ、軽く言えばね。疲れて酒飲んで「ああ俺は疲れてるな」って言って終わっちゃう、それはどうなんだろうって。それはもちろん、サラリーマンの人は大変ですよ。働いて疲れて。大変なのは分かるけど、でも、だから「それを癒してあげよう」では解決にはならないっていうね。本当はこういうものにこそ、サラリーマンの人たちが来てくれれば一番なんです。……けど、それはまだまだ遠い話かなっていう…ね(笑)
 市村さんはもともと演劇畑の出ではない。30代半ばで山海塾の制作になるまで、溶接工その他、様々な職についていたという。だからだろう、サラリーマンの観客が増えることを痛切に望む市村さんの言葉の端々には、サラリーマンへのシンパシーが滲み出ていた。分かるからこそ、そうした人たちに劇場に来て欲しい、一緒に考えて欲しい…そういうことなのだろう。

 今は組織の長として、運営面(お金のこと)で走り回る毎日です――そう言って少しだけ寂しそうに笑った市村さん。けれど若いスタッフが育ってきたから芸術祭は順調だと、嬉しそうに付け足した。今芸術祭への期待もさることながら、市村さんの想いがいずれは叶い、劇場が仕事帰りの人々で賑わう日が来ることを、ともに願いたい。

 なお、現在の演劇の在り様を丸呑みにはしない市村さんは、今芸術祭のチラシを大量に作らざるを得なかった現状にもご不満なご様子。ネットその他、広報活動での新たな可能性も模索中とのことだから、もしかしたら近々、今度はそっち方面で新たな一石を投げてくれるかもしれない。そちらも要注目だ。
2006/2/2  インタビュアー・文責:北原登志喜 撮影・編集:鏡田伸幸 

BACK STAGE REPORT演劇のチカラ〜その可能性をめぐって〜東京国際芸術祭2006、開幕!
【市村作知雄インタビュー2】

BACK

Questions?Problems?Suggestions?Contact backstage@land-navi.com
BACK STAGE【SideA】 Since 1999/09/01.2000/10/01.Presented by LAND−NAVI
Copyright (C) 2006 LAND-NAVI .All Rights Reserved.