BACK STAGE REPORT〜from サブテレニアン〜
疾風怒濤の鹿殺しから目が離せない!――劇団鹿殺し[殺ROCK ME!〜サロメ〜]
【丸尾丸一郎インタビュー】
『殺 ROCK ME!〜サロメ〜』では作と出演を兼ねる丸尾丸一郎さん。長身と人懐っこい笑顔、柔らかい物腰、芯の通った話し振り、と向かうところ敵なしのようなお方です。鹿殺しの魅力は、こうした一人一人の劇団員の魅力に拠るところが大きいのでしょう。
丸尾丸一郎

大阪府豊中市出身。5月1日生まれ。純和風料理が好き(劇団HPより)
劇団では作と出演を担当することが多い。最近では『すけだち』(筧利夫×松浦亜弥主演)に菜月チョビと共に脚本を書き下ろしたり、鹿殺しオルタナティブズvol.2『魔人現る』では演出を担当するなど、多方面での活躍が目立っている。
【路上パフォーマンスをはじめたきっかけを教えてください。】
――鹿殺しさんのこと知ったのはテレビの放送が最初だったんです。

『ストリートファイターズ』ですね。

――はい。劇団員で共同生活されていらっしゃることもそれで知って。特に興味をひかれたのは路上パフォーマンスなんですが、はじめたのは東京が最初ですか?

いえ、関西です。ちょうど東京に出てくる前ですね。公演を重ねてお客さんを増やすよりも、もっと幅広く一般の人たちに見てもらいたいと思って。大阪の演劇界が2000人足らずの観客をそれぞれの劇団で取り合っているような状況だから、それ以外の方々にも見てもらいたい、と。君たちは路上パフォーマンスみたいなことができるんじゃないの、というアドバイスもいただいたりしたので。

――それがいつくらいのことですか?

はじめての東京公演『愛卍情』(2004年7月/大阪シアトリカル慶典院、9月/東京こまばアゴラ劇場)の前、2004年の6月ですね。


――劇団に与えているものは大きいですか?

そうですね。街中でやるようになってから、大きく演技するようにみんな意識し出したんじゃないかな。いいことなのかどうかは分からないけど(笑)
【東京に来るまでのこと、来てからのこと】
――旗揚げ以来、精力的に公演を重ねていらっしゃいますが、特に東京に来てからは大変なハイペースですよね。その間にツアーもはさんだりして。

ええ。まず東京ではじめて公演した時、アゴラ劇場に2週間泊まらせてもらったんです。その間に劇団員が雑誌社、劇団・劇場、メディアと3班に別れて宣伝回りをしました。それ以外の時間は代々木公園で稽古したりして。そうしたら、あっという間に見にきてくれるというお客さんが増えていくのが分かって。その時に、劇団をやるなら東京の方がおもしろいかもしれない、と思ったんです。

それで大阪に帰ってから1、2週間くらいして、当時チョビと一緒に牛丼屋でバイトしてたんですけど、そこで丼をパーンと割って、「俺東京に行く」って。チョビはすぐ行く、と言ってくれたんですが、他の劇団員はついて来てくれないかもしれない。次の稽古の時にみんなに言ったら、劇団員の山本が同棲していた彼女と別れたばかりで、山本はサラリーマンだったから絶対無理だろうと思っていたのに行くと言ってくれたんです。そうしたらみんなも行くとなって。3時間くらいで決まりましたね。

その後に路上パフォーマンスだけで食べていけないかな、と言ったら、みんなもやってみよう、と。バイトをしながら何年もかけて劇団をやっていくより、あっという間に結果を出したかったんです。路上パフォーマンス、ライブハウス、劇場の公演だけでなんとか2年と半年はもったかな。


――まさに夢が実現したように感じますが。

でも、それぞれ感じていることは違います。劇団員が7人から5人に減ったのは、やはり相当しんどかったから。貧乏だし。僕はこれがはじまりだと感じていたんですが、全員がそう思っていたわけじゃなかったんですね。舞台やライブハウスに立つことが楽しいと感じるひまもないくらいに2年間やってきたから。二人は劇団を辞めて関西に帰ってしまいましたが、今となってはいいことなのか悪いことなのか分からないです。これから僕らがどうなるかということにかかってはいると思いますが。なりふり構わず走ってきた2年間でしたね。
【ここまで劇団が成長した転機について教えて下さい】
はじめて『愛卍情』(2001年10月大阪カラビンカ)でオリジナルを上演した時、それまで僕は会社員をやっていたんですけど、当時の劇団員から、会社をするか劇団をするかはっきりしましょうよ、と言われて会社を辞めました。それで、オリジナルを書かないとこれから先がないだとうと思ってみんなで書く練習をして。なんとなく僕が残って今にいたっています。

――そこが劇団としての転機だったんでしょうか?

そうですね、劇団として変わったなと思いますね。あとは、やはり入ってきた劇団員によっても変わりますね。新しくオレノグラフィティが入った時も、劇団が大分変わりました。人の力が一番大きいですね。鹿殺しはたくさん劇団員がいるわけではなく、本当に好きな人だけ入るという劇団だから。大阪から出てきた時も、当時の劇団員だった7人じゃないと、東京に行こうという話にはなっていなかったと思いますね。
【今回は初の中劇場進出となりますね】
――鹿殺しの魅力は、路上パフォーマンスのように、ストリートで直接お客さんに語りかけてくるような魅力が大きいと思いますが、今回は中劇場での公演ということで、がらりと変わりますよね?そのあたりの意識はどうですか?

意識というか、ただ単に楽しみですね。今年の1月から2月にかけて『僕を愛ちて。』を上演した時、東京、大阪、神戸と会場がだんだん大きくなっていって、すごく気持ちがよかったんです。最後の神戸ではお客さんの顔が見えなくなって。ほんとうに楽しかった。大きなところでやりたいな、と思っていたところだったんです。

――こうなりたいという方向にどんどん進んでいるように感じますが。

いや、でも、そうでもないですね。東京に来たばかりのころは、小さいところで1ヶ月も2ヶ月もロングランをしたいと思っていました。今は大きな会場でやるのもおもしろいな、と。また、最初は劇団として発展したいと思っていましたが、今は他の人と交流をすることもおもしろいな、と。考えることはだんだん変わってきますね。

今回の公演も自信はあります。もちろん、中村まことさんや加藤啓さんら、客演の先輩の方々の力に拠るところは大きいです。楽しみなことが多くて、不安はあまりないです。

――今年ラスヴェガスに旅行に行かれたそうですね?

はい、シルクドソレイユを見てきました。本当におもしろかった。毎晩何千人もの会場を満員にして、それを何年間も続けられるお芝居ってこれほどおもしろくないとだめなんだな、て思った。これが頂点だな、と思ったからそこに向かって行ける、と。ラスヴェガスはほんとおすすめです。親を連れて行きたいと思うくらいよかった。早く連れて行けるようになりたいです。


――みなさん家族思いですよね?

ツアーの時もそれぞれの実家を回って、みんなの親としゃべったりしているんです。オレノグラフィテイ以外はみんな関西学院大学で一緒の仲間なんです。オレノは僕が演出助手をしていた時に高校生で、おもしろいなと思って口説き落とした仲間です。
稽古で流した汗を拭き取る時間も惜しんでインタヴューに応じてくださった丸尾丸さん。優しそうな眼差しと、穏やかな語り口が印象的でした。「老若男女の心をガツンと殴ってギュッと抱きしめる」というキャッチフレーズ通り、人間的な魅力にあふれた鹿殺しのメンバーから今後も目が離せません。
2007/8/20   文責・インタビュアー:さたけれいこ(サブテレニアン) 撮影・編集:鏡田伸幸

BACK STAGE REPORT〜from サブテレニアン〜
疾風怒濤の鹿殺しから目が離せない!――劇団鹿殺し[殺ROCK ME!〜サロメ〜]
【丸尾丸一郎インタビュー】

BACK 

Questions?Problems?Suggestions?Contact backstage@land-navi.com
BACK STAGE【SideA】 Since 1999/09/01.2000/10/01.Presented by LAND−NAVI
Copyright (C) 2007 LAND-NAVI .All Rights Reserved.