「百年の孤独」って何かなと考えてるとき
あれはそう、なんかさ 見えない都市の夢なんだよ、ね。

演出家・小池博史

これまで独自のパフォーマンスを表現しつづけてきたパパ・タラフマラ。25年の集大成として行なう「百年の孤独」ワールドツアー。そのワークインプログレスとなるのが「見えない都市の夢」。脳で理解するのではなく、カラダが直接感じ取るリアリティーを体感すべく取材を敢行した。
真夏の熱気がむせ返る稽古場からは、本番さながらの緊張感あふれるリポートを。
小池氏のインタビューでは、演劇・舞踊においての身体論など
真剣に、時折笑顔を交え語ってくれた。


BACK STAGE REPORT〜パパ・タラフマラ『見えない都市の夢』〜 【池博史インタビュー】〜
古REPORT
池博史 氏(パパ・タラフマラ 代表)
一橋大学社会学部卒業。
その後、TVディレクターとして多数のドキュメンタリーを制作。
1982年「パパ・タラフマラ」を設立。以降全40作品の作・演出・構成を手懸ける。海外公演が多く、また、1996年以 来、多岐にわたる外国人アーティスト達との作品製作を積極的におこなってお り、ジャンルや国境を超えた創作活動を展開している。
1995年パフォーミングアーツ研究 所(P.A.I)を開校。そして1997年、つくば市芸術監督(現つくば舞台芸術監督)に就 任。1998年8月、アジアのアートネットワーク「アジア舞台芸術家フォーラムイン沖縄」 実行委員長を務め、さらにアジアの多くの都市を結んだアート・ネットワーク構想「アジアアーツ・ネット」の具体化に取り組む。
稽古を終え、すぐに取材班のもとに駆けつけてくれた小池氏。
こちらのインタビューに熱く、饒舌に小池ワールドを展開してくれた。
ろんなことをやってきて、「百年の孤独」をやるのは今しかないって。
●「百年の孤独」という作品を選んだ理由は?

この小説はね、もう27年前、大学生の時に初めて読んで「いつかやりたいな」って思ったんですよ。でも、あれを若いときにやろうとしてもできない。やっぱり自分の方法論というか、時空間的な方法論と身体論を持たないと。だって普通のセリフ劇にしても成り立たないし、舞踊でも厳しい。だから、そうじゃない方法論を持たないと無理だなって。以前寺山(修司)さんの「百年の孤独」を観たときも、そう感じたんです。やっぱりああいった独自の方法論を持たないと、って。

●寺山さんに影響を受けたところがある?

影響を受けたってわけではないけど、寺山さんの作品には空間とか時間とかがミックスされているでしょ、そういう意味でいえばパパ・タラフマラの作品に通じるものがあるかもしれない。学生の頃、20世紀はじめのフランス文学が好きだったりね、僕はもともと建築をやりたかったから、時空間的演劇になったんだろうし、寺山さんとの共通項がたくさんあるのは事実でしょう。でも、影響という意味で言えば、非常に多くの作家に影響を受けているとも、まるで受けていないとも言える。映画や美術や音楽の方が影響は受けているかもしれない。

●パパ・タラフマラ25周年の集大成となる作品ですが…


今までには作品も質もどんどん変化してきてますからね、社会的なテーマのもの、色彩だけがテーマのもの、あるいは自分の記憶を元にしているものもあったり。いろんなことをやってきて、タラフマラの色を確立してきた中で「百年〜」をやるのは今しかないって。内容的にも今やっておく必要があると思うんですよ。
あの作品は「文明の起こりと消滅」って読めるじゃないですか。文明って何か?と問い掛ける、消滅するってどういうことかって問い掛ける、そういうことが必要な時代、時期なんだと思う。たとえば‘物忘れの町’っていうシーンがあるんですけど、ある時、物忘れの病が流行るんですね、それで物の名称を全部、紙に書いて貼っていくんです。

現実にもそういう病気はあるし、それだけじゃなく現実にも私たちの生活には今情報が溢れている。情報っていうのは実はどっか切り捨てていかないと、新しい情報は入ってこないものなんですよ。役者が「うんこ?」って言うシーンがあるんですけど、あれなんかももっとも身近であって、極めて生理的なんだけども、それを忘れてしまうことすらあるよなって。私たちが今いる環境っていうか、現象として起こりうるという警告ですかね。
本人って、自分自身にどこか懐疑的なんです。
●いつも社会風刺的な要素がどこかに入っている?

前回の「ストリート・オブ・クロコダイル」では、目に見えない恐怖だとか、リアリティをもって感じられる恐怖だとか、それぞれ言うことがバラバラでお互いに何が真実かわからなくなるっていうのをやったんですよ。バラバラだけどどこか不安。これは現実社会でも同じですよね。

でもね、作品を作る上では、今私たちが抱えている問題はコレですよっていう直球はない。いつも悩むんですけどね、制作側は「分からせることは大切だ」って言いますよ、たしかに分かります。だけど今の時代何をもってリアリティというのかってことになると実はわかり易いものなんてあるのか?って問題でしょ。こういうものですって言い切ってしまえば楽ですよ。宮崎駿さんのアニメにしてもこういうもんだっていうのは簡単。だけど実はそんなに単純なものじゃない。言い切ることは簡単だけど、違う方向性を切り取ってしまうってことになるんじゃないかなと僕は思うんですよ。わかり易い、テレビ的なもの、ハリウッド的なものもいいですよ。でも、笑いにおいてもギャクではなくユーモア、アート的なものを現代の人はもう少し大切にしないと。

わかり易いものばかりが溢れているでしょ、日本は特にね。僕なんかも20カ国ぐらいで公演をしてきましたが、日本って奇妙な国だなと思いますよ。海外でツアーやった後に日本で公演すると、あまりに反応がスカスカでみんなショック受けますから。お客さんが「ここでは笑っていいんですか?」「泣いていいんですか?」って聞くんです。信じられないですよ、何かを感じたんじゃないですか?って逆に聞きたい。自分が何かを感じるってことに恐れがある。つまり人と同じでなければならない、そういう自分自身に懐疑的な人が日本の観客の方にはけっこういますから。

今年に入って子供を対象にしたワークショップをやったんですよ。今の子供の体の硬さには驚きますよ、全然ダメです。だって来ていた子供たちの半数以上が、前屈をして床に手がつかないんですよ。体が硬いってことはどういうことかって、やっぱり心が固いし、頭も固いってことなんですよ。自分が心で感じられない。心って何かって言ったら身体で受け止めることでしょ。子供でさえ自分に対して懐疑的なんですよ、自分が自然な存在ではなくあくまでもどこか作られてしまった存在だと。もしそれが一般的だとするならば、日本人のメンタリティーを僕は危惧してならないですね。
語の意味以上に身体が何を語るかの方が重要でしょ。
●海外では反応が違いますか?

同じ公演をしても全く違います。アメリカ人なんて特にダイレクトだし、同じアジアでも韓国(ソウル・プサン)でやったんですけど、グワーっときましたよ。

●言葉の壁は?

ありませんよ。言葉の壁を感じるというのは身体の問題だと思うんですよ。身体のない舞台では言葉でも入ってこない、それを超えていくためには何が必要か?って。言語の意味以上に身体が何を語るかの方が重要だと思っていますから。

●身体表現をする上で、豪華な衣装は負担にならない?

関係ないですね。それをいうと能、あるいは歌舞伎でもいいですが、身体がないかっていったらそうじゃないわけで。ただ動きやすいか、にくいかってのはあるかと思いますが。でも体に芯があるか、センターがきちっとあるかどうか、というのがあればどういうものを着ていても面白いものは面白いんですよ。

●音とか映像とかも全て小池さんが考えている?

そうですね、全部細かく指示しています。細かく何分何分って設計図を作ってます。映像はイメージを伝えて、アレンジは自由だから、まぁやってみてって。

●振り付けに関しては?

僕が付けるものもあれば、役者にやらせる場合もある。みんなにアイデアを出させて、プレゼンをして。というのはアイデアってやっぱり面白いんですよ。ただリズムがはまらない。アイデアは活かしてリズムの部分をちょっと変える。そうするとまるっきり変わりますから。

●そういう作業の面白さを感じている?

うん、それもあるだろうね。全部自分で付けちゃうのもあるけど。動きだけじゃなくて舞台ってリズムですから。リズムを変えるだけで見え方が全く違う。その変化の楽しさはありますね。今日のリハーサルだと、リズムが全部消えちゃってる。いろんなところのリズムが消えて、ベタになってきちゃうとイライラしだしてね、ついストップって言いたくなっちゃう。そこをグッと抑えて次につなげるわけですけどね。

●稽古場の雰囲気はとてもいいですよね?

どうなんですかね。今日なんかは新しいシーンを作ってる段階で、今罵声を浴びせてもね。思ってるのとまったく違うときもありますから。今日はダンスではリーダー的存在の白井(さち子)がいなかったんですよ。それで気の抜けたビールみたいな感じになってしまって。で、そこをどうするの?って話になるとどうしても強くなってしまう。ただ、最近はあんまり怒るってことは少なくなってきてるみたいですよ、自分じゃわからないですけど。

――今回、出演者の人数もかなり多いですね。

人数はいつもと変わりません。少ないくらいです。来年の「百年の孤独」は倍になりますが。でも、作品によっては2人しか出ない作品もあるので、大中小、いろいろな規模の作品があります。
年には全く別のものになることは間違いない
●「見えない都市の夢」は「百年の孤独」につながっていく?

ワークインプログレスというところで位置させています。「百年の孤独」は今までの作品同様多面的に作っていきます。ダンサーだけとか役者だけとかではなく、あらゆる要素を入れて。個々のバラバラな動きがあったり、同じ時間軸の中でも別々の場所で違うことをしているシーンを織り交ぜたり、そういう中で全体の空気でもって1つの作品に仕上げていきます。ただ「見えない〜」に関しては、逆に動きを掘り起こしていく作業をちょっと心がけてやってはいますね。それは自分自身が「百年の〜」の理解度というか、来年につながるものを見つかればいいなと思って。来年になると、もういろんな国からアーティストが集まってきますから。たぶん全く別のものになることは間違いない。そうなるんであれば、今回は多面的にしないで、シンプルにすると、来年の作品作りが面白くなってくるんで。

●来年に向けてのワークショップはもうやっているんですよね?

はい。世界各国でやる予定なんですけど、ブラジルでは100人くらいのダンサー、俳優から20人をセレクションしてワークショップを行い、その中から今は3名、選んでいます。

●手ごたえは?

すごくいいですよ。無名の役者らしいんですけど、この人はすごくいい。それこそ仲代達矢と三船敏郎を足したようなオーラがある。存在だけでのけぞってしまうようなね、なんでこの人が無名なのかさっぱりわからないですよ。
切なのは頭で考えるんじゃなくて、自分の身体で感じられるかってこと。
●日本の芸術的偏差値はそうとう低いですかね?

日本では舞台芸術ってはっきり分かれてるんですよ、演劇と舞踊に。その中間領域だと先駆的、実験的ジャンルでしかない、いつまでたっても。観客にしても若い人はいるけど大学を出ると同時に、まぁ3分の2は卒業していってしまう。年齢が上がっていくのと反比例して少しずつ少なくなっていく。
時代も変わったんですよね、20年くらい前だとあらゆる雑誌に演劇批評が出ていた。今ではほとんど見ないですよ。劇評家が書きたいものを書ける場所がなくなっているんです。カンパニーらしきものも少なくなってきてるし、劇場がプロデュース公演をするにしても観客を入れなきゃならないから、じゃあタレントを使おうということになる。稽古時間も短くなって…そのときは観客が入るかもしれない。でもね、演劇的効果なり舞踊的効果が得られるかっていったら当然得られないですよ。地盤沈下が起こってるんです。メディアも含めて、今の日本は問題が集積しちゃってるんですよね。


●つくば芸術監督をされているのは地盤沈下を食い止めるため?

つくばではいろんな試みをしています。観客は少しずつ増えてきているし、アート意識が深まれば、一般的な舞台を見ても理解度は深くなるんですよね。でも難しいのは舞台なり演劇なりに全く興味のない人ですよね、そういう人たちの意識を変えていくっていうのはなかなか大変ですよ。でも確実に変わります。身体ってそれだけ強いものだと思ってます。身体で感じられれば意識は変わりますから。

●読者にひとことメッセージを…

いつも言うことなんですけど、なかなか気持ちってオープンにならない。だいたい先入観で入るってことが多いし。今一番大切なのは、頭で考えるんじゃなくて、自分の身体で何を感じられるかってこと。この作品を観るってことに限らず、いろんなものを見ていく際にまず情報から入らないで、自分が見たそのときのインプレッションだとか、感動だったりをね、もっと掘り起こしていって欲しいですね。
(文中、一部敬称略)
2004/8/5 文責・インタビュアー:石塚ともか 撮影・編集:鏡田伸幸 

BACK STAGE REPORT〜パパ・タラフマラ『見えない都市の夢』〜 【池博史インタビュー】〜
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