BACK STAGE REPORT〜InnocentSphere 『HELL FIGHTER』【西森英行インタビュー(1)】〜
初めての青山円形劇場公演をひかえた【InnocentSphere】。順調にステップアップを続けるこの劇団の主宰で、作/演出の西森英行さんに話を聞いた。前半では、再結成から9年目を迎える劇団のこれまでを簡単に振り返ってもらう。‘早稲田系’という呼称についての忌憚ない意見も飛び出した前半を、まずはどうぞ!

西森英行 氏
【InnocentSphere】主宰。同劇団全作品の作/演出を手がける。
(’04年『QUO VADIS』演出は除く)
1977年東京生まれ。早稲田中学・高校を経て、1996年早稲田大学法学部入学。
高校時代に同級生の狩野・倉方・坂根らとともに演劇ユニット【イノセントスフィア】を結成。大学入学後に劇団名を【InnocentSphere】に改め、本格的な活動に入る。
始めの一歩は文化祭
―まずは【InnocentSphere】という劇団について聞かせて下さい。劇団の元を辿ると、西森さんの中学時代にまで行き着くとか

そうですね。中学1年の時に文化祭で劇をやることになったんですが……僕の母は学校の先生をやってまして、演劇部の顧問だったんですね。で、「劇やるんだけど、何をやるのが一番面白いの?」って聞いたら「演出よ」って教えてくれて。「なんで?」って言ったら「自分の思い通りに人が動くのよ」って(笑)。だからもう、最初から役者ではなく演出でやろう、と。それが中学1年生の時。その中学時代から狩野(和馬)と坂根(泰士)とは繋がっているんです。特に狩野はその文化祭の時の役者でしたから

―演劇部には入らなかった?

演劇部がね、無かったんですよ。中学・高校と

―では、本格的にやり始めたのは高校で【イノセントスフィア】を狩野さん・坂根さん・倉方(規安)さんらと作ってからですね。どんな感じで始まったんですか?

倉方と僕は全然接点が無かったんですけど、ある時、倉方が突然電話かけてきて「西森ってさぁ、なんか芝居の台本書くらしいね」って話をし出した。「うん」って言ったら「…俺、‘劇’やりたいんだけど。劇」って(笑)。
そのとき倉方はバスケ部で、部活のメンバーで芝居をやろうとしてたんですけど、だったら一緒にやろうってなって……それが高校2年の時でした


―その当時、芝居をやる上で目指していたもの、影響を受けたものは?

当時、青山円形劇場で【第三舞台】の鴻上尚史さんが『トランス』を上演して、その影響はすごく大きかったですね。鴻上さんの『トランス』があって、ちょっとずれて野田秀樹さんがイギリスから戻ってきて『キル』をやって……あの2作品が凄く大きかったんだと思います。鴻上さん・野田さんの影響を受けて、そこから始まったところはあるので
女性入団にドギマギの再結成
―そうして大学になって、劇団を再結成しますね。名前も【イノセントスフィア】から【InnocentSphere】に変えました

そうですね。メンバーがみんな大学に入って……そこには諸先輩方の劇団がたくさんあったので、ノウハウを頂くために、まずはあらゆる劇団に「新人です」って顔してみんな一時期入ることにして。「お前は【劇団木霊】な! お前は【劇研】だ!」みたいな…(笑)。簡単に言えばスパイですよね(笑)。…で、そうしたスパイ活動の期間を経て、再結成したんです。みなさんから散々文句を言われながら(笑)

―この再結成で、何が一番変わりました?

「やる気」でしょうか。無茶してスパイして戻ってきたんだから、やることはやらないとっていう危機感はありました。
…でも一番変わったのは劇団に女性が入ったこと。男子校でしたから、もう、「ドギマギしちゃう」みたいな(笑)


―女性が入った。そこでよく劇団が分解しなかったですね(笑)

ねぇ(笑)。本当ですよね。やっぱり元になるメンバー、高校の頃からのメンバーが中心にいましたから、それでなんとか続いた感じですね。基本的に仲がいいんですよ

―女性が入って、急に芝居が垢抜けたりは?

垢抜けないんですよねぇ、これが(笑)。なんでこう、ドロ臭いまんまのか……みんな、ごめんね(笑)。でも、本当に変わらないんですよ
次のステップを見据えて
―さて、大学時の再結成以降、高い評価を受けながら活動を続けてきて、2年前、パルテノン多摩演劇フェスティバルで最優秀賞を受賞されました。その直前には制作スタッフを増員したりと制作面での強化もしています。そのあたりの時期から、一つ新たなステップを意識して動き出した感がありますが

そうですね。それまで元々のメンバーの中から制作を2人たてていたんですけど、その彼らが就職などで劇団から抜けて、っていう端境(はざかい)の時期でしたね。もう、高校の同級生だからっていうことではなく、改めて体制を固めていって、メンバーを再編成して、残る者と出て行く者と分かれて

―高校時代から数えると10年目を目前にした頃でもありましたね。本腰を入れよう、ということもあったのでしょうか?

そうそう。本当にそういう時期だったと思いますね

―去年の暮れの【Afro13】との協働公演『QUO VADIS』。これもそうした流れの中にあるかと思いますが?

そうですね。次のステップに行こう、体制をしっかり整えようというときに、一つの区切りとしてやった感覚はありますね

―その『QUO VADIS』では、西森さんの戯曲を【Afro13】の佐々木智広さんが演出をしたわけですが、あの公演で得たものは?

いまだに僕が一番得したんじゃないかと思ってるんです(笑)。基本的に佐々木さんと僕は演技体とか演出スタイルが違うんですね。【InnocentSphere】の場合は‘台本ありき’みたいなところからスタートして、そこの重視に結構エネルギーを使うので、それを大きなお芝居に変えていくときに、なかなかこう……地を這っていくイメージなんですよね。地を這って、助走して、それから飛ぶ、っていう。でも、佐々木さんの場合はもう「はなっから飛んでます!」っていうところから入る方なんで(笑)。そんな佐々木さんが演出をすることで、普段自分たちがやっている作品がどういう風に見えるのか。それを見られたのがまず一番貴重なことでしたね。どこが堪えうる部分で、どこが良かれ悪しかれ変わってしまう部分なのか。自分の書いたものをある程度、別の視点で客観的に見ることができました。役者にとっても、やっぱりいろんな人に演出を受けることで普段出していないものが出てきますから、こちらもいい経験になったと思います。「あ、こいつはこういうところがいけるんだ」って改めて発見したところもありましたし。
とにかく、あれをやったことで自分たちが今持っているものと、これから手に入れたいものとが明らかになったという感覚がありましたね
トッチャン坊やで良かった!?
―【InnocentSphere】として再結成してから来年で10年です。そういう意識もありますか?

そうですね。そうした年の区切りへの意識もありますけど……去年から劇団メンバーがマネジメント事務所に所属することになり、外部の活動もするようになって…そうした体制的なところから来る変化への意識の方が大きいですね。
鴻上尚史さんは「劇団は10年が限度だ」っていう話をされているんですけど、僕らの場合は「まだいけるな」って思うんです。それは僕らが元々純粋培養の、男子校の「トッチャン坊や」の集まりだったから、というのがあって(笑)……お互いに「狩野クン」「西森クン」とか呼び合うところからスタートしましたから、ようやく10年くらい経って「あいつはこういう奴なんだ!」っていうのが分かってきたっていう(笑)。これはもう、トッチャン坊やの特権ですよね(笑)。お互いの良い所も悪い所もようやく見えてきて、付き合えるようになった


―ちなみに【InnocentSphere】は“早稲田系”という文脈で語られることが多いですね。この“早稲田系”という言葉を西森さんはどのように解釈してらっしゃいます?

“早稲田系”って言葉にはどうも、「頭でっかち」っていう意味と「なんか、力の入った芝居してるよね」っていう意味と、2つのパターンがあるように思うんですよね。揶揄する意味でも使われれば、単に劇団の色を指して使う場合もあるんでしょうが……僕はそれはね、ひとつ、「有り」だと思ってるんですよ。そうした言葉で語られるものに、そこを一歩超えた面白さも加えて観ている人に届けられるようになれればいいって。
多分僕たち【InnocentSphere】は早稲田演劇の持っている、揶揄もされれば賞賛もされる要素のかなり多くの部分を持っていると思いますから(笑)
西森英行インタビュー(2)
(文中、一部敬称略)
2005/2/23 文責・インタビュアー:北原登志喜 撮影・編集:鏡田伸幸

BACK STAGE REPORT〜InnocentSphere 『HELL FIGHTER』【西森英行インタビュー(1)】〜
西森英行インタビュー(2)

BACK

Questions?Problems?Suggestions?Contact backstage@land-navi.com
BACK STAGE【SideA】 Since 1999/09/01.2000/10/01.Presented by LAND−NAVI
Copyright (C) 2005 LAND-NAVI .All Rights Reserved.