BACK STAGE REPORT〜innerchild『遙<ニライ>』【小手伸也インタビュー】
今回の【innerchild】が取り組むのは“あの世”である。それも、日本最北の民と最南の民が思い描く“あの世”=異界だ。ニライカナイという異界から届く声は観客を、日本人を、何処へと誘うのだろう…。
作劇の過程でもたらされた沖縄とアイヌの刺激的な出会いを始め、“死者の世界”を巡って重ねた思索の軌跡を、主宰/作/演出の小手伸也氏に語ってもらった。
小手伸也
1973年12月25日生まれ。
山羊座。B型。

'94年、早稲田大学教育学部入学。同学内演劇サークル【早稲田大学演劇倶楽部】に所属。
以後、卒業まで大小内外併せて約30の公演に参加。

大学卒業後フリーを経て、'98年に自主ユニット【innerchild】を旗揚げ。
主宰として全作品の作・演出を手がける。
また、役者としても自劇団の他、【NODA・MAP】【劇団☆新感線】【カムカムミニキーナ】【ナイロン100℃】【拙者ムニエル】など数々の客演で、独特の存在感を発揮している。
最北と最南の地を結ぶもの
―およそ10ヶ月ぶりの公演が迫ってきました。まずは、今作『遙<ニライ>』のお話を聞かせて下さい。琉球(沖縄)とアイヌの世界を描くとのことですが、どんなお芝居なのでしょう?

流れとしては前回の『青ゐ鳥』と近いところにあると思います。“日本的な何か”が常に自分の中でテーマとしてある。「心の問題を扱う」という大きなくくりの中でも、何か日本人的なもの、日本独特の感性を、その文化圏に属している一人として具体的な形にしたい…常々そう思っているんです。それで前回は古事記や日本書紀の世界、日本の神話の世界を掘り下げて、そこから気になるトピックを拾いあげて構成しました。それはつまり、前回は日本を見る上で、征服者側=大和民族の世界観を引っ張り出したということでもあるんですけど、今回は逆に、大和民族に入られた側の人たちの世界観に触れてみたいと思ったんです。米を持った弥生人が大陸から入ってきて、もともと日本で狩猟採集生活をおくっていた縄文人たちは吸収されていったり、駆逐されていったりした。その縄文人たちの世界観、もともと日本に根付いていた世界観を最も純粋な形で残しているのが、沖縄やアイヌの人たちなんじゃないか……そういう考察をする説はたくさんあるんですね

―その2つの世界が、物語の中でつながっていく、と

そうです。僕自身、以前から沖縄に対してもアイヌに対しても興味を持っていましたけど、でも、それぞれは別個の興味だったので、それを今回つなげてみようと考えたのは、やっぱり乱暴といえば乱暴なんです(笑)。ただ、沖縄にしてもアイヌにしても、それぞれ単独の世界観として扱うにしても、とても奥が深すぎて、自分がちょっと手を出したくらいで何かを表現できるものではない。だからこそ、自分がやるとしたら何か違う切り口が必要だと考えたときに、沖縄・南洋諸島の“ニライカナイ”という異界観に改めて思いを巡らせたんです。
ニライカナイというのは海の彼方の、神様が住んでいる理想郷のような世界のことで、そこから毎年、神様がお土産を船いっぱいに積んで島にやってくるという伝説が南洋諸島にはあるんですね。ただ、ニライカナイは神様の国でもあるんだけど、実は、不浄なものを閉じ込める死者の国でもある。この概念は日本神話でいうところの根の国、常世国、黄泉と非常に近いんですね。それは柳田國男や折口信夫も指摘しています。そういう風に、ニライカナイと古事記などの世界を結びつけるのは(前回古事記の世界を扱っているだけに)、僕の中ではわりと分かりやすい考え方でした。そうして見えてきた“異界観”は、基本的に僕たちがずっと持っている日本人的な“あの世”観ともしっかりつながるんですね。
で、その「ニライカナイ」という言葉なんですけど、実は沖縄でも何が語源なのかよく分からないらしいんですよ。それこそ言語学的に縄文時代にまで遡っていかざるを得ないんじゃないかとも言われているんですけど、一方で、それをアイヌ語で解釈できるという考え方もあるようなんです。それによると“ニライ”は“根の下”、“カナイ”は“空の上”という意味になる。そう哲学者の梅原猛さんが言っていて、「これは面白い!」と思ったんです。「こんなところで北と南が繋がるとは!」って。その“空の上”とか“根の下”という言葉の響きもどこか、異界、あの世、神様の国、死者の国、ここではないどこかを連想させる言葉で、もしかしたらアイヌの人たちも「ニライカナイ」という言葉を使っていたのかもしれない……そんな発想から、北と南、2つの世界をつなげてしまおうと思い立ったのが今回の話なんです
日本的な死者の世界
―「日本人的な“あの世”観」ということでいうと、いま名前のあがった梅原猛もまた、沖縄とアイヌに縄文から伝わる日本人の普遍的な死生観を見ています。やはりその死生観が物語の大きな核となっていくようですね

そうですね。…昔よく、日本人は無宗教、無神論者が多いと言われたんですけど、今、日本を外国の人が見ると、わりと頑固な宗教論者だと思うらしいんですね。なぜかと言うと、日本人は何でもやる。正月には神社にお参りして、クリスマスも祝えばお盆もやる、というように。何でも取り入れて、何でも自分のとこの神様にしちゃう。けど、絶対に一つには絞らないわけです。そういうところが外国人にとっては頑(かたく)なな宗教観を持っていると見えるらしいんですね。確かに、日本では“八百万(やおよろず)の神”っていうくらい何でも神様になっちゃう。物が壊れたら「お釈迦になる」っていうけど、本当の仏教徒ならそんなことは言わないでしょう。そういう風に、日本人は何でも神様にしてしまう、アニミズム的な、ある種のおおらかさを持っている。そういう、日本的なおおらかな世界観で、死者の世界を語れないだろうか……実は、それが今回のテーマなんです。
その上で、沖縄の沖縄らしさ、アイヌのアイヌらしさを描ければ、と。やっぱりどちらも強いアイデンティティーを持っている人たちなので、多分、その人たちが観に来たら「それ、違うよ!」って言われる可能性が大なんですけど(笑)。でも、そこはもう「若気の至り」と許してもらって、こういう文化があると紹介だけでもできればいいって、そういう気持ちでやってます。だから、そんなに風呂敷は広げません(笑)。拡大解釈とかフィクションを織り交ぜたりの脚色はありますけど、基本的にはまだみんなの知らないこと、知られていないことを、見よう見まねでも構わないからわずかなりと紹介できたらいいな、と。
だから、実は今回の舞台では生楽器にも初挑戦しているんですよ。アイヌの民族楽器・ムックリ(=口琴)とか、沖縄の三線(サンシン)とか。文化としての土着感、根付いている感じ、その人たちが持っているエネルギーが、それらの楽器を通じて、より伝わればいいなと思って


―そうした死生観、死者の世界を描きたい、という思いはどこから?

特に“あの世”の話をやりたいと思ったのは……僕が生きてきた中で、“人の死”ってわりと珍しいことではなかったんですね。友達も何人か亡くしていますし、祖父が心臓で倒れた時にも第一発見者は僕でした。その時の、救急隊に電話で言われるまま半ベソをかきながら祖父に蘇生術を施していた時の、肌の質感、匂い……「人が死ぬとこうなるんだ」というのをリアルに感じました。そういうこともあって、人の死に対してリアリティーが感じられないわけではない。だから、いつか“人が死ぬ”ということを真剣に書きたいというモチベーションはずっとあったんです。それで今回、遙か彼方のあの世の世界、“ニライカナイ”にたどり着いたのかな、と。
……実は僕、最初の頃は“人が死ぬ話”は嫌いだったんですよ。安易にピストルが出てくる話とか(笑)。舞台上で誰かが死んでても「胸がハァハァしてんじゃん!」とかツッコんだりして(笑)。でも、今回は魂のおもむくままに、真正面から死と向き合いました。とはいえ、やっぱり「人が死ぬ瞬間」は一切出ませんけど。
それと、今回は神様的な存在が一切出ないんです。前回は登場するのが全員神様でしたけど(笑)、今回は全員、人間でやろうと。それも【innerchild】では初めての試みかもしれないですね。記念すべき第10回公演。とても大事な時期に、とても大事なことをやる。だから、いつもよりフンドシがもう、キュウキュウに締まってる感じですね(笑)


―ちなみに、今回は舞台が「島」だとか

自分の中では“島”というか、コミュニティー、ある村がここにありました、というようなことをやりたいんですね。人がそこで生活を営んでいる、そんな定住観みたいなものを出したい、と。
空間としては正方形の、土俵みたいな空間をイメージしてて、その周囲に「壕(ほり)」を掘ろうと思ってるんです。舞台と客席の間に180センチの壕がある。本当は四方を掘りたかったんですけどね、それだとアクティングエリアその他の問題が出るので、前後だけにしました。そういう、隔絶している、ということでは“島”ですね
再演計画、ワークショップ
  ――これからのinnerchild
―劇団のことも少し。今後は過去の作品の再演も考えているという話を聞きました。再演を心待ちにしているファンも多いと思いますので、その真偽の程を

一応、自分の中では10作目までは新作をやるっていうのがあったんです。その10作を今回で超えますから、じゃあ少し、過去にやり残したことをやろうという気持ちがあるのは確かです。それに、再演ができれば新作を書くために8ヶ月もかけなくていいし(笑)。半分くらいのスパンで公演ができると思いますからね。もちろん、時代性というものがあるから修正しなければいけない部分はたくさんあると思いますけど、でも、再演に堪える芝居をやりつづけてきた自信はありますから、できればこれからは再演もやっていきたいですね。
もっとも、まだ次の公演をいつ、どこでっていうのも決まってなくて。狙っている劇場はあるんですけど、ある劇場を思いつくとそこでしかできないものが浮かんできて、新作を書きたくなっちゃう(笑)


―ワークショップの方も好評なようですね。安くて品揃え豊富な「ファミレス・ワークショップ」だとか。せっかくですからその宣伝も一つ。ワークショップではどんなことを?

基本はみんなゲームなんですよ。五感をフルに活用するゲームです。お芝居の経験値がバラバラな人たち、高校生から社会人までいろんな人たちが来るわけですから、「うちはこういう芝居を作るんだ」みたいなことを提示するよりも、みんなが個々に持っている能力を再確認する現場にしたいと思ってるんです。五感を駆使するいろんなゲームをやったり、頭を使って動くとはどういうことなのか、自分の身体の仕組みがどうなっているのか、関節を少ししか動かさなくても柔らかく見せるためにはどう動けばいいのか。そんなことを体験してもらったり、あとはもっと感覚的なことで、目隠しをして鬼ごっこをしたりとか。そういう風に感覚を封じることで、みんなに自分の持っている身体がどういうもので、それを駆使して何が出来るのかを考えてもらうんです。
芝居って、やろうと思えばすぐに出来ちゃうものでもあって、わりと一挙手一挙動をあんまり考えずにやってしまう人もいるんですけど、「いや、待って!」と。あなたが喋っているセリフというものも、実は相手とコミュニケートするツールでしかないんだよ、だからセリフばかりに固執すると、本当に伝えたいことは伝わらないよ、なんていうことも気付いてもらって。「セリフを疑え、身体を疑え」……自分が当たり前だと思ってやっていることをまず疑って、自分の身体がどういうものなのかを知ってもらう、そういうワークショップですね


―その他に劇団としてやってみたいことはありますか?

野外で芝居をやってみたいですね。劇空間じゃないところで、その場所ならではの芝居を。そういう挑戦が演出家として出来ればって思いますけど……ただ、役者の力量は問われるでしょうね。外でやったら声が吸い込まれちゃったりとか。
あとは、地方公演とかロングランとかもできたらいいですねぇ
―最後に、今作を楽しみにしている皆様へメッセージをお願いします

皆さんにとってあまり身近ではない世界観を取り上げてますけど、そこにはきっと皆さんが振り返ることが出来る“何か”があると思います。
それと、沖縄もアイヌも触れれば触れるほど、どんどん色々なことが感じられる深い世界なので、その世界を今までまったく知らなかった人にはとても刺激的な空間になると思います。もちろん僕らは見よう見まねでそれをやるわけですけど、この芝居をきっかけにして、アイヌ語を学んでみたいとか、実際に沖縄に行ってみたいと思ってくれる人がいたら本当に嬉しいですね
日本人の心性を掘り下げ、縄文から地続きの死生観にまでたどり着いた【innerchild】の記念すべき第10作、『遙<ニライ>』。その世界に宿る想いはきっと新鮮で、きっと懐かしいものになるのだろう。
奇しくも今年は終戦60周年。そんな節目の年に沖縄を扱うからこそ、尚更おろそかにはできません――そう言って、小手さんは面を引き締めた。
いよいよ加速を始めた【innerchild】が描く、時空を超えた遙(はるか)への旅。その果てにあるものを、あなたも目撃してみては?
2005/8/27 文責・インタビュアー:北原登志喜 撮影・編集:鏡田伸幸

BACK STAGE REPORT〜innerchild『遙<ニライ>』【小手伸也インタビュー】

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