―北海道大学に残されている中谷宇吉郎の研究室にも行ってきたそうですね。実際に研究室を目にされた印象は?
実は、最初はこの話の舞台をどこにするか悩んでいたんです。研究室を舞台にするのは一番避けたかった。というのも、研究室って私の不得意分野なんですよ。今、研究室を得意とするすぐれた劇作家さんはたくさんいらっしゃいますけど、私はそういう場所で書くのがとても苦手なので、私らしく書けるか自信が無かったんですね。だから、低温室にしようか…でも低温室はとても寒いので人が呑気に喋る場所じゃないし…、とかいろいろ考えて。でも、北海道大学の、元々あった場所にそのまま残されている研究室の鍵を開けてもらって入った瞬間に、「あ、もうここを舞台に書くしかない。難しくてもここを舞台に書こう」って決めました。研究室が復刻されて未だにそのまま残されている、それほど愛された研究者ってどのくらいいるだろうかって思いましたから
―部屋が当時のまま変わらず残されている。そのことからの単純な連想で「結晶」という言葉を想像したんですけど、いま稽古を拝見したら、舞台が六角形の結晶の形なんですね
ええ。今回は具象じゃなくて、美しい抽象セットの中でやろうと思ってて。あの舞台の形は研究室の写真を美術家と一緒に見てて決まったんですけど、イメージとしては、あれは半欠けの結晶なんですね
―また、今回のお話は中谷研究室のある一日を凝縮したものだとか。そこにも「結晶」というイメージが重なります。そもそも中谷宇吉郎という人は生き方が結晶的というか、「美しい人」という印象を抱くのですが
本当に美しいんですよね! 人はこんな風にも生きられるっていうことを、伝えられればいいなってすごく思いますね。
いま、私はわりと幸福ではない人生のことを書くし、実際にそういう時代だと思うんです。でも、口はばったい言い方ですけど、私は演劇と出会って演劇を生きて、いろいろ大変なこともありますけど、誰のせいにもしない幸福な人生を送っていると思う。そういう意味で、人生ってわりと、幸福にも生きられるような気がするんですね。それは現実的にハッピーなことがいっぱいあるってことではなくて、何か、たった一つ自分の大切なもの、これだと信じるものを持つということ。
中谷宇吉郎はまさにそういう人生を本当に、凝縮されたように生きた方ですよね。しかも理想主義というよりはリアリストで、現実をちゃんと見据えた上で、それでも明るさやある種の幸福感を失わない。なかなか、いそうでいない方だなって思います
―結構子供っぽいところもあったりと本当に愛すべき人だと思いますが、稽古を拝見していて、中谷宇吉郎への詩森さんの愛が作品に溢れている感じを受けました
そうなんですよ。私もこんなに好きになっちゃうとは思わなくて(笑)。もともと、好きだから書いたというわけではないですからね。でも、今まで書いた中でも、やっぱり主人公に対する愛情っていうのはず抜けてますね。だからそこは作風とか関係なく書きたいなって思いましたね
―中谷宇吉郎の人となりを知るにつれて、物語の方向性も変わった?
それはもちろん変わりましたね。本当は、最初の決意としては寓話性みたいなものは排除しようと思ってたんです。何も無くていい、ただものを作っている話にしよう――と思ってたんですけど、中谷先生自体が寓話性を非常に持ってらっしゃる方なので(笑)、それは敬意を表して、入れていかざるを得ないと。だから、その時代に対する警鐘であるとか、そこから生まれる教訓みたいなものであるとかを一切排除しようと思ってたわりには、より深い形で入れ込まざるを得ない感じにはなりましたね。これは意外な展開でした
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