ルイージ・ピランデッロ作の『作者を探す六人の登場人物』は、1921年の発表以来、演劇の虚構性を暴露する問題作として扱われてきた。その戯曲に、役者だけで取り組むという今回の【黒テント】の試み。この作品を選んだ理由とは? 役者として、その試みの中で見えてきたものとは?  即興性から心の問題へ、斎藤さんが自劇団へ宛てた言葉はそのまま、演技論へと深化する

BACK STAGE REPORT 〜黒テント公演『ぴらんでっろ』〜【藤晴彦インタビュー(1)】〜
藤晴彦インタビュー(2)
藤晴彦 氏(黒テント 代表)
興的に、自在に
―早速、今作『ぴらんでっろ』についてお聞かせ下さい。原作はイタリアの劇作家、ルイージ・ピランデッロの『作者を探す六人の登場人物』ですが、タイトルを『ぴらんでっろ』に変えています。お芝居の内容も変えてくるのでしょうか?

同じなんです(笑)。…ようするに『作者を探す六人の登場人物』っていう芝居なんですけど、そのままのタイトルだとなんか長いっていうかね(笑)。いいタイトルなんですけどね。でも、『ぴらんでっろ』っていう風にひらがなにすると、妙にこう……何語だか分からないじゃないですか。そういう風にちょっとユーモラスにね、この芝居を考えてみようかなと思ったんです。それとですね、「あ、ピランデッロっぽいな」っていう、そういう芝居にしたい。「ピランデッロっぽい」っていう、雰囲気ね。そういうことなんです

―今回は特に、即興性をとても大事にされているようですね

ええ。あのね、やっぱり僕は芝居って即興だと思うんですよ。即興に見える、という意味でね。役者として言うなら、いい役者の芝居っていうのは、どんな台本の芝居をやっても即興に見える。夢のような話ですけどね、それが役者として一番すばらしいと思うんです。いかにもその場で作っているように見えて、実は台本通りだった、っていうね。
で、僕らも及ばずながら即興的な芝居っていうのを学びたいと思いまして。もちろんいつもそのことは考えてはいます。でも、ここで改めて考えてみたい。
この作品はわりと即興的にできる芝居なんですよ。全部台本に書かれているんですけど、やりようによってはとても即興っぽく見えるんじゃないかな


―即興性には、公演を重ねるごとに芝居が変わっていくという意味も含まれるかと思うのですが


ええ、そうなんです。変えていきたいですねぇ。
今回、東京では中野光座っていう昔の映画館でやりますし、広島では旧日本銀行広島支店っていう所でやる。もちろん大きい劇場でもやります。そんな風にね、空間がもう、一個一個違うんですよ。空間が違うのに、同じ芝居はできないと思うんですよね。それに柔軟に対応できる芝居であり演技でないと。だから即興っていうのはそういうことも含めてですね。自在にやれるようになればいいな、と
ランデッロが今の時代に問いかけるもの
―この作品が築地小劇場において日本で最初に上演されてから、今年でちょうど80年。ただ、作品としてのある種の異質さは今も新鮮です。なぜ、この作品を選んだのでしょう?

僕は、この芝居は今の時代にぴったりだって思ってるんですよ。このご時世というかね、ある種の情報がいっぱいある時代に。
例えば、<登場人物>っていう非常にバーチャルなものが人の世に現れるわけですよ。そして自分たちの物語をかたって、それに現実の人物が向かい合わざるを得なくなる。今の時代にとって、とても象徴的です。
ピランデッロは現代人っていうものをどこか予言的に書いてた気がするんですよ。もちろんピランデッロ自身も現代人ですけどね。すぐ第二次世界大戦が始まるっていう時代の人なわけですから。その大戦でイタリアは負けるわけですけど、ピランデッロが生きているうちからイタリアはどんどん近代化されていって、軍事力も蓄えていく。そういう時代に生まれた作品ですよね。
人間の精神構造もあの大戦を経て変わってきたわけですが、でも、そこから今日に至るまで、世界ではずっと戦争をしているわけじゃないですか。そんな人間っていうものをね、ピランデッロは見据えていたんじゃないでしょうか。この芝居はすごく激しい芝居ですし、ある意味で「憎しみの芝居」です。と言っても別にその憎しみがテーマじゃなくて、「人間はここまで憎しみを持つことができるんだ」「憎むっていうのはこういうことなんだ」っていうことですね。あるいは、「ここまで人間っていうのは悲しいものなんだ」とか「ここまで人間っていうのは後悔するものなんだ」とか。そういうことを僕たちは知りながら、どこか他人事だと思ってきたんじゃないか。でも、本当は自分の中にだって凄い憎しみとかがあるわけで……だからね、ピランデッロは今の人間に何かを問いかけてる気がしてならないですね。
で、またね、それを<登場人物>から問いかけているっていうのがちょっとミソだと思うんですよ。<登場人物>っていうのは人じゃないし、あれは「字」ですからね(笑)。役者がそれを演じて初めて芝居ですもんね。その<登場人物>が出てきちゃうっていうところが凄くこう、今の時代の……なんか「インターネットだなぁ」って思うの、僕は。インターネットの世界で人間がどんどん自分のキャラクターを作っていって、その世界を現実だと思ってしまって、そのキャラクターと本気でディスカッションしてる、なんていうね。劇中で<登場人物>と<演出家>が一生懸命ディスカッションしているのを見てるとね、「これ、インターネットじゃない?」って、そういう風に見えてきてね


―なるほど。この芝居では本当にバーチャルな存在が、生きている人間相手に説教みたいなことまでしますものね

そう、そう、そう(笑)。<劇団員>たちも夢中になって話を聞いていたりね。で、あろうことか、バーチャルなものが演じたりするわけですから(笑)。だからすごくねぇ、「今だなぁ」っていうね、そういう作品ですよね
を動かすということ
―先ほど即興の話が出てきましたが、「演じる」ということを考える上で、この戯曲は格好のテキストのように思います。斎藤さん自身、この芝居について「私たちの心に生じる不思議な現象―演じること―を考えてみたいのです。ピランデッロの霊感に触れながら」とおっしゃっていますね

ええ。僕は演技っていろんなやり方があってね、「これが一番正しい」なんてのはないと思ってるんですけど……ただ、この芝居を劇団のみんなとやっていて、どうもみんな「外側に出たものが演技だ」と考えてるんじゃないか、そう思ったんです。例えば悲しい芝居では、「悲しいんです、今は」っていうのを見せる。つまり、悲しんでないんですよ。本当に悲しむ、本当に怒るっていうのが、僕は演技だと思うんですね。怒ったのなら、それを説明するんじゃなくて本当に怒んなきゃ駄目だと。演技として。そういう、心の中を動かすっていうことが、どうも黒テントの役者は得手じゃない。自分の精神を全部外側に露出するっていうことがね、恥かしいんじゃないかと思うんですよ。みんなすごく真面目だし、はにかみ屋だし。舞台の上で大声でわめいたり泣いたりっていう、激しい情熱を出すことに対して、禁欲してるんじゃないかって。
でもね、ピランデッロみたいな作品をやるとなると、それじゃ駄目なんですよね。イタリア人の気質っていうのもあるかもしれないけども、すごく情熱的なわけですよ。心の中が動かなければ絶対うまくいかない芝居なんです。そういう意味では、稽古をやっていて今までと違う経験が出来たらいいな、と思います。「こういうのもあるんだ」って。こういう芝居をやっているうちに、今までの自分の演技じゃないもの、演技だと思っていたものとは違うものを考えてくる。そういう材料ではありますよね


―この芝居のように、こんなに自分の感情をぶつけて、言いたいことを一方的に言って、ということは、まず日常生活で経験としてないですからね

うん、ないね。だから、どっか深いところにそういう情熱があるんですけど、それが出てくるまでに時間がかかるんですよ。日常で「憎む」っていう状態を外側には露出できないですよね。それやると、社会的に大変なことになっちゃうでしょ(笑)? でも「演技なんだからやれば?」って。なのにそれができない。できないっていうか、あんまり好きじゃないみたいね、憎しみとかね。それとか、あからさまな感情表現がね。
僕ら黒テントではね、どっちかといえば合理的な演技をするわけですよ。メッセージドラマというか、社会に、外側に向けての芝居が多いですからね。で、それはそれでいいんですけど、やっぱり役者に何が欠けているかというと、僕は「心」だと。自分の心を動かすっていうことですね。みんな外側の人間とコミュニケーションしたりするのはすごくうまいんですよ。いろいろできるんです。けど、じゃあ君本人の俳優としての一番深いところにある精神っていうのは何なんだ、っていうね。そういうことですね


―そういう劇団員たちにこの戯曲をぶつけてみて、これまでのところ、どのような反応が出ていますか?

最初はみんな戸惑ってましたけどね…途方に暮れるっていうか(笑)。ま、徐々に近付いているというか、にじり寄っているんじゃないですかね。こういうの、まず見たことがないですよね。やったことがないし。大体、僕らの芝居は座付き作家が心優しいから(笑)、書いてくれるわけですよ。それをやるとなった時、あるいは僕らの好きな劇作家、例えばブレヒトにしても、それをやるとなった時にですね、なんか役者たちが「(これは)できる」みたいな感じでやっているわけですよ。でも、ブレヒトっていう作品はそんなに生易しいもんじゃないわけでしょ? なのに、歌とか楽器の演奏を交えてやっているうちに、なんか「分かっちゃってる」。それがね……「本当に分かってんの?」っていうことを言いたい。そういう芝居なんだな、これは。もちろん僕も含めての話なんですけど
情な演出?
―今回、斎藤さんは演出もしますね

いや、僕は役者だけで作っていると思ってるんです。僕は演出家じゃないから演出的なコンセプトってなくて、言ってみりゃ、演出家がいない芝居です。「役者だけで芝居は可能か?」っていうね。
演出家がいると役者がね、どうしても演出家に頼ってしまうじゃないですか。もちろん大きい部分では当然のことなんだけれども、細かい部分、例えば「椅子に座っていいか、立ってもいいのか」なんてことまで演出家に訊いてしまったりする。僕はそれって駄目だと思うんですよ。「自分でやれ、そんなことは!」って。演出家だってね、やっぱりそういうことは役者の領分だと思ってるんです。でも、あんまり出来ないと口を出さざるを得なくなるじゃないですか。そういうのを見てるとね、「演出家も可哀想だな」って思ったり(笑)。
だからね、役者を一回突き放して、「お前が考えろ」「君が得するか損するか、君の問題だよ」っていう風にね。もし僕が演出っていうなら、そういう演出ですね。非情な演出(笑)
→【藤晴彦インタビュー(2)
(文中、一部敬称略)
2004/9/23 文責・インタビュアー:北原登志喜  撮影・編集:鏡田伸幸

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